奇妙なお店

 会社の帰りに奇妙な店を見つけた。いつも通る道だが、今夜に限って帰る道の雰囲気が違うな、と思っていたのはこの店があるせいだろうか。

 塔子は何となく立ち寄ってみようか、と気になったので、その初めての店に近づいた。爛々と輝くランプがたくさん吊されていて、眩しいくらいだった。あんなにランプがたくさんついていたら嫌でも気付くのに――どうして今まで気付かなかったのだろうか。

 今夜限りの店だったりして。

 そんな風に考えが行き着いた塔子は、思い切って扉を開けた。

 するとランプがそれに呼応するようにかすかに点滅する。

「おや、珍しい客だね。いらっしゃい」

 だみ声が奥の方から聞こえてきた。あまりのひどい声だったので、塔子は少し身構える。

「怖くないよ。ただのしわがれた声さ。ババアだからな」

 埋め尽くされた古い品物の間からひょっこりと出てきたのは、本当に90歳は越えていそうなくらい深い皺を刻んだ老婆だった。まるで、魔女のよう――。

「魔女みたい、と思っただろ」

 思っていることを見透かされたような気がして、塔子はぎくりとした。

「いえ……。ところでこの店、初めて見ました。この通りは毎日通るのに……全然気付かなかったので……」

 物珍しげに品物を見回す塔子に、老婆は微笑む。

「お前さんが必要だと思ったから出てきたんだよ」

「……じゃあ、よくあるファンタジー小説の、アレなんですかね。必要な時とか、呼ばれた時に出てくる魔法の店……とか」

「よくご存じで。そんな感じさ。遭遇したお前さんはラッキーだねぇ」

 それを聞いた塔子の顔が輝き始めた。まるでこういうイベントに遭遇するのを待っていたかのように、品物を手に取ってしげしげと見つめる。

「これ、なんですか?」

 塔子が手に取ったのは、スノードームみたいな球体だった。

「ああ、お前さんが必要としている物だね、こりゃ」

「あ、やっぱり……そうやって自然と導かれるんですね。これがわたしの運命の物なのでしょうか」

 老婆はそのスノードームをじっと見つめながら、「ああ、そうさ。お前さんが本当に欲しがっていたものだ」としみじみと答えた。

「本当に欲しかったもの……」

 このスノードームが、だろうか。特にそんな思い出はないが、買う気になった。

「おいくらですか」

「やるよ。もともと金銭で売買するような店じゃあないんだ」

 塔子はやっぱり、と言いたげな顔をして、「有り難うございます」とお礼を述べる。

「次に会えるとしたら、わたしがこのスノードームを必要としなくなった時でしょうか」

「そうだね。そうなることを祈るよ」

「……いつか返しに来ます」


 塔子はそのスノードームを大切そうに持ち帰り、一人で暮らすアパートへ帰った。

 スノードームをいつでも見えるところに置いておこうと、テーブルの上に置いた。これならベッドに横たわっても見えるので、安心だ。

 しばしスノードームを眺めた。雪のようなものではなく、金粉のようなキラキラしたものが入っているだけだった。雪だるまとかそういうものはない。

「シンプルでいいわね」

 見つめていると何ともいえないノスタルジックな感じになる。懐かしいような、何となくほっこりするような……。

「なんか、幸せの塊みたい」

 そう言った後に、塔子は苦笑いした。

 その夜、塔子は久々に夢を見る。

 塔子が小さい時のことだった。幼い塔子が母親に抱かれて、ぐっすりと眠っている。そんな塔子を愛しそうに見つめる母親。その二人の姿を温かく見守るのが、少し離れたところにいる父親だった。

 塔子は愛されて生まれてきて、育ったのだった。

 こんなに幸せだったことを随分忘れていた。もっともっと見ていたかったが、残酷なことに朝がやってきて、目覚まし時計が塔子を呼び起こす。

「うるさいな……」

 目を覚ました塔子は、枕がぐっしょりと濡れていることに気付き、慌てて起き上がった。目尻に違和感を覚え、拭ってみた。

 涙の跡だった。

 夢を見ながら泣いていたのだろうか、自分は、と塔子は鏡に向かう。

 涙の跡がくっきりと残り、干からびていた。ため息を漏らし、顔を洗った。


 会社に向かうと、いつもの一日が始まる。

 塔子は言われた通りのことを淡々とやるだけで良かったし、会社の人と仲良くなることも無関心だった。それよりも早く家に帰って、スノードームを眺めていたい。

 眺めているだけで心が温かくなるし、なんともいえない懐かしさがこみ上げてきて、多幸感を覚えるからだ。

 これが自分の欲しかったものだ、ということを確信した塔子は、いつもよりも仕事がはかどった。

「やればできるじゃないか」

 珍しくきちんと仕事をスピーディーに出来たので、塔子は褒められた。

「ありがとうございます」

 少し恥ずかしくて、上司と目を合わせられないまま、自分の席に戻る。褒められることは慣れていなかった。

 いつも鈍くさいしミスばかりする自分が褒められる日が来ようとは!

 これもスノードームのおかげかしら、と塔子は微かに微笑む。


 家に帰ると、また塔子はスノードームを目の前に置いて眺め続けた。

「なんでこんなに温かい気持ちになるんだろう……。懐かしくて恋しくて……、泣けてきちゃう……」

 いつの間にかテーブルに突っ伏して眠ってしまったのだろうか。塔子はまた夢を見た。

 今度は祖父母の家にいた。塔子がまだ小学校に上がる前だった。祖父はすでに亡く、祖母だけが一人で暮らしている。遠くの田舎にいるため、なかなか会えないでいた。

 祖母の家には縁側がある。南向きのぽかぽかとした縁側で、祖母が正座して、塔子はお昼寝するために祖母に膝枕してもらっているところだった。

 幸せだった。祖母が優しく頭を撫で続けてくれるので、それが安眠を誘う。深秋の温かい日差しの下で眠る塔子。

 とてもとても気持ちの良い、安眠だった。

 祖母の優しい笑みもまた癒やしだった。


「あぁ……」

今度は目覚ましが鳴る前に自然と目が覚めた。すっきりして起きられたのはもう何年ぶりだろうか。身体も軽い。なんだか今日は良いことがありそうな予感がするほどだった。

「さ、今日も頑張るか……」

 干からびた涙を拭うために洗面所に向かう。

 会社には、ちょっとした気になる男性がいる。良い事が起こりそうな予感が的中した。

 その気になる男性とバッタリと会社の前で出会い、「おはようございます」と挨拶出来たことだった。塔子はあとで顔が真っ赤になってないかを気にしたが、彼の方は素っ気ない雰囲気のままだったので、ばれていないと安堵のため息を漏らす。

「あ、あの」

 前を歩いていた彼が突然振り返ったので、塔子は「ひゃあ」と情けない声を出した。

「あ、ごめんなさい……。あの、今晩、飲み会に参加します?」

「あ……、ちょっと都合があって」

 塔子はいつも飲み会は不参加だった。好きな人がいようが参加したくない。そもそも、塔子は好きな人と付き合うとかそういうのを一切考えていないし、求めてもいなかった。

 ただ、気持ちだけを秘めているだけだ。

「そうなんですか……。いや、参加するなら、あの、話せたら、と思って……」

「ごめんなさい……、前から決まってたことで……」

 何が何でも参加したくない。上司には身内が病気だから看病しなければいけない、と嘘をついて免除してもらっているので、声を掛けられない。

「じゃあ、また、今度……、話しませんか」

「あ、はい……、またの機会に」

 塔子は恥ずかしくてその場から逃げたかったので、挨拶もそこそこに彼の前から消えた。


「はあ、なんだかビックリなことばかり起きて、心臓に悪いわ……」

 塔子は家に帰って、スノードームに声を掛ける。

「あなたはどう思う? 彼はわたしのこと、好きだと思う?」

 スノードームは生き物ではないので、ウンともスンとも言わない。そりゃそうか、と塔子は苦笑いした。

 塔子には未来のことを考えられなかった――というより、考えることをしてこなかった。明るい未来を想像したことがないので、どう考えて幸せな展開にもっていけるかも分からなかった。

 目先のことだけを見て、生きるのに精一杯だ。塔子は疲れたな、と深いため息をつきながら立ち上がった。

「シャワーしてもう寝よう。幸せな夢をまた見られるといいけど」

 その夜の夢はとてもとても幸せだった。

 塔子が小学校に入学したときの思い出だ。真っ新なランドセルを背負って、両親に囲まれてにっこりと笑う塔子。遠くからはるばるとやってきた祖母も一緒だった。

 あの瞬間が最高に幸せだった。誰もが塔子を見つめ、おめでとう、と祝福してくれている。この瞬間の主人公はまさしく自分だったからだ。

 誰にも邪魔されずに、ちやほやされている時間。幸せだった。

 ああ、お母さんに会いたいな。その笑顔をもう一度見たい。

 おばあちゃん、どうしてるかな。とても恋しいよ。会いたいよ。

 お父さん、置いていかないで。いつもおんぶしてくれたお父さん。お父さんの背中が恋しいよ。

 もっとこの幸せな夢を見ていたい。現実の世界に戻りたくない。戻れば不幸な時間を過ごす羽目になるのだから――。

 塔子は初めて会社を無断欠勤してしまった。

 しばらく忙しくて疲れ果てていたので、とりあえず眠れてはいたが、今回は違う。夢を見たいがために、睡眠を無理矢理取ろうとして、睡眠薬に手を出した。

 ベッドの傍にある小さな棚の引き出しの中に、古い睡眠薬が入っていた。一年ほど前だろうか、精神科で処方してもらった眠剤だ。

「これで眠れるだろう」

 塔子は安易に眠剤を服用し、眠りについた。

 また夢を見た。

 今度は塔子の誕生日だ。塔子の誕生日はクリスマスで、プレゼントイベントが重なるのでちょっと損だな、と思っていた。

 でもそんなことはどうでもいい。クリスマスというキラキラとしたイベントで自分の誕生日を祝われるのはとても幸せなことだからだ。

 家には大きなツリーがあって、飾り付けが楽しかったし、決まってもみの木のてっぺんに星を飾る役目は塔子だった。

 父親に抱きかかえられて星をてっぺんに飾った。

「よし、できたな! じゃあご飯にしようか。ママのお手製のフライドチキンは美味しいよね」

 家族三人で過ごすクリスマスバースデーは毎年最高だ。

 ちょっとした悪戯をしても、怒られない特別な日だったからだ。

 夕方には、祖母からの電話があった。「塔子ちゃん、おめでとう」と遠くから祖母の優しい声が聞こえてくる。

「うん、ありがとう、おばあちゃん」

 宅急便から荷物が来たことを伝え、祖母と繋がったままプレゼントを開ける。それが慣例だった。

「わあ、ありがとう! わたしがずっと欲しかったオモチャだ!」

 なかなか買ってもらえなかったオモチャを、祖母からプレゼントしてもらえたのは本当に幸せだった。

 電話の向こうでふふふ、と小さく笑う祖母の声が聞こえてくる。ああ、なんて幸せなんだろう。

 いやだな。起きたくない。

 もっと、もっとこのままでいさせてほしい。

 けれど、無残にも塔子を夢の世界から現実の世界に引っ張り出されてしまった。


 塔子はもうこれ以上会社にいたくない、と苦痛を感じ始めていた。

 それならもう辞めよう、と決意し、退職願を書いた。退職願を持って上司に渡すと、上司は目を見張り、塔子を見つめる。

「そんな急に辞められても困るよ。それに、君にはやらないといけないことがあるんだぞ」

「なんですか? やらないといけないことって……。わたしの仕事は誰でも出来る仕事で、代わりが利くと思うんですが」

「そうじゃない、君がだいぶ前に出した企画書が通ったんだ」

 そういえば上司がこの部署にいる人全員が企画書を作ってくるように、と命令された時に渋々と作った企画書のことだろうか。

「社長がえらく気に入ってね、この企画書を採用しようと鶴の一声で決まったんだよ。良かったな。取り敢えず辞めるのは待ってくれないか」

「ごめんなさい、身内が……もうどうにもならなくて、わたしがつきっきりで介護しないといけなくなって……」

「それは……うーん……でもなぁ……、困ったな……」

「それに、その企画書は誰でも出来ます。わたしが説明しなくても誰もが出来る内容ですので、大丈夫だと思います」

 塔子は早く夢の世界に戻りたい一心で、上司を説得する。

「そういうことなら……。いや、女性の幹部として出世するチャンスなのになぁ」

「出世は興味ありませんし……代わりに出世したい方がこの企画書をやればいいと思います」

 上司は最後には塔子の退職願を受理した。

 これで晴れて塔子は自由になれた。


 塔子は精神科に再び診て貰い、眠れないので今までよりも強い薬を所望する。

「いや、でもね、あなたにはきついよ」

 先生が渋っても、塔子はどうしても、と懇願した。

「先生、わたしが幸せになるためなんです。頑張りますから」

「幸せねえ……。まあ、とりあえず少なめにね。半分だけ飲むんですよ。いいね? あなたは飲み過ぎるから――減りが早いんですよ」

 医者は強い眠剤を少しと、いつもの眠剤を一ヶ月分処方した。

「ああ、これでどっぷりと眠れる」

 とてもワクワクした。幸せな気持ちになれる。スキップしたくなるくらいだった。

 この幸せな気持ちをじっくりと味わいたくて、病院の途中にある素敵なカフェに思い切って入る。通るたびにキラキラと輝くカフェを眺めて、「自分には入る資格がない」と思い込んで諦めていたカフェだった。

 いとも容易く入れた自分に驚いた塔子は、ますます有頂天になる。

「カフェオレください、あと今日のオススメケーキもセットで」

 スムーズに注文出来る自分に、さらに驚いた。

 まるでリア充をしているかのようだった。

 これもスノードームのおかげだ。幸せな気持ちが持続すると、やる気が出てくるし、何か行動をしたくなる。

 素敵なことだな、と思った。

 出されたケーキは、マスカットのケーキで、爽やかで甘酸っぱい味がした。大人な味だろうか。カフェオレと共に頂き、満足して帰った塔子は早速眠剤を服用して眠りに落ちる。


 今度は家族で旅行に行った時の思い出だった。

 確か箱根に行った時だ。ロープウエイがとても楽しかった。キャッキャとはしゃぐので、母親が小さく悲鳴を上げたのを覚えている。母は高所恐怖症なのだ。

 その時の表情が忘れられない。ふとした時に思い出して、フフッと笑ったことがある。

 非日常的な時間を過ごせたのも、父と母がいたから楽しかったし、幸せだった。

 ワクワクしかなかった。楽しいこと、嬉しいことしかなかった。

 悲しいこと、悔しいことなど全く感じられない、多幸感を味わえる時間だった。

 自分は自分のままでいてもいいんだ、と自信満々に過ごせる時間だったのだ。

 それでも無情にも夢の世界から引っ張り上げられる現実世界。塔子は逃げるようにして眠剤を飲み続けた。


 あの奇妙な店が再び塔子の通り道に現れた。

 塔子が持っていたスノードームが老婆の手元に戻されたのだった。

「いいのかい、おばあさん」

 白い、大きな熊のような得体の知れない生き物がスノードームをじっと見つめて老婆に尋ねる。

「良いも悪いもないよ。スノードームはちゃんと役割を果たしてきたんだからさ、コットンよ」

 コットンと呼ばれた生き物は、しばし考え込んだ。

「幸せの定義は人によって違うからね。塔子の場合は夢の世界に居続けることが幸せだったのだろうねえ」

 それを聞きながら、老婆は新聞を拡げた。

「死に様はちょっと惨めだけどね。眠るだけで、飲み食いしなかったもんだからそのまま餓死して腐敗したところで発見――と書かれているようだけども」

「それでも彼女は気にしないだろうな」

「現実世界をもちっと良い方に見つめていたら変わっていただろうけどねぇ。たとえば、企画書だってちゃんと自分でやれば認められただろうし、自分の居場所も出来ただろうし、彼女の好きな男だってさ、本当に両想いだったんだよ。あの時思い切って彼の誘いに乗っかれば、間違いなく交際に至って結婚出来たのにさ」

「そうか、おばあさんには未来が見えたんだっけね」

「そうさ。そのためにスノードームをあげたんだが、彼女は間違った」

「間違った……かは知らないけれど、これも彼女なりの幸せを追求した結果なんだろうさ」

「まあ、間違ってなかったかもしれんがね。少なくとも彼女は幸せな気持ちのままで死んだのだからさ」

 老婆は新聞を畳んで、盛大なため息をついた。

「それに、彼女には家族はいないからさ。かえって良かったのかもよ」

「たしか父親の方が不倫の末駆け落ちしたものだから、母親がそのショックで寝込み、そのまま亡くなられたんだっけね。彼女の大好きなおばあさまもガンで亡くなられた」

「世知辛いよねぇ」

 老婆がそう言ったところで、静まり返った。ややあってからコットンは何かを思い出し、老婆に尋ねる。

「ところで、作者を知らないか」

「シカタミサトか?」

「そうだ、何か情報は入ってないかい?」

 老婆は頭を振って、「知らないねえ。なんでも行方不明だそうで」と答えた。

「困ったもんだよ。だからこうして表の世界に出てきているわけだが」

「彼女に何があったのかい」

「さあ……。わたしにも話してくれないしね」

 老婆は頬杖を突きながら、「見つかるといいね」と言い、「生きていればね」と付け加えた。

 コットンは何も言わず、軽くお辞儀をして店を出て行った。

(終)

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