嫌いになるなら一生をかけてとことん知ってから嫌いになろうよという話。

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神戸北野山手からの景観

 

私は色々考えていて、悩みもすぱっと切り替えてないように見えますけど、ずーっとずーっと悩んでいることがあります。

結局私も一人の人間です。それなりの欲望というか、気にするところはあります。

いつも私は人に、「人と比較するのはちょっと違うよ、あなたはあなたのままで素敵だから」と言いますが、それは自分にも言い聞かせているんです。

わざわざ自分に言わないと、自己肯定感が下がります。

 

 

でも何となく、私自身の言動が、「何コイツ」とドン引きされてるのかなと感じることもあります。

努めて普通にしていようと努力しています。

ドン引きされた、と気付くと、猛烈に悲しくなります。

 

そのドン引きっていうのは、多分、波長が異なるせいかと……。

誰誰が悪い、ドン引きした人が悪いっていうんじゃないんです。もっと違う何かです。

「合わない」んだろうなって。

 

私は誰とでも仲良くしたいタイプなので、こういうことが起きると「仕方がないな、合わなかったんだな」という諦めを前に持ち出しますが、内心は「悲しい! 仲良くしたいのに!」と思うことがあります。

私は人類愛で接しているんです。

女性に対しては遠慮無くどんどん話しかけて、がっつり深い話をしたりするのが好きです。

特に若い子(大学生や高校生)と話すのが好きですね。どういうことを感じているのかすごく知りたいし、若い子の間でブームになっているものや文化を知りたいと思います。

っておばさん発言ですが、35はもうれっきとしたおばさんですしね(笑)

ともかく、女性で、がっつりと深い話に付き合ってくれる人がいたら、もうめっちゃ話しかけます。嬉しくて。

そこから私個人の悩みを打ち明けたり、と心を開いていきます。

私は最初からオープンマインドな感じで接していますが、実はそうではありません。結構上手く隠し通すタイプなのです。

それは、やっぱり初対面~付き合い浅い関係だと、まだまだお互いの事をどこかで「この人は大丈夫かな? 信用出来るかな?」という推し量りの時期だからでしょうね。

あんまりさらけ出しすぎると警戒されてしまいますし、あまりにも打ち明けすぎると、かえって信用を無くしてしまうことも。

要するに、自分のことをベラベラ話しすぎると「この人に自分の悩みをもし打ち明けたら他の人にも話してしまいそうで信用ならないかも……」というような思考になっちゃわないか、という懸念も生まれるからです。

そうじゃない人もいっぱいいますが、中にはそういう思考を持った人も必ずいるのです。

自分のことを打ち明けすぎてかえって失敗した経験を持っているから言えるのです。

 

しかし、私の発言は、ちょっと奇異に映るようで、「変わった人」というレッテルを貼られてしまいます。

一般的な「こう思う」という見方をしないことが多く、型破りな性格なので、日本人には敬遠されることが多いのですね。

人間関係で、スーッと敬遠されたことなんてざらです。その時に、「普通の感覚を持った普通の人になりたい!」って切望するんですよね。辛いから。

でもすぐに忘れちゃって、また斬新な発言をします(笑)

自分を変える努力はしていますが、強烈な個性は没することが出来ません。(そもそも個性って何なの、って感じですけどね)

 

ともかく、異なった意見を持つ人と話もしたいんです。しんどいかもしれない。喧嘩になるかもしれない。

それでも学ぶことが多いはずです。気付かされたりすることも多いはずなんです。

だから、意見の合わない人とも仲良くしたいのですよね。

傾聴。とことん相手の意見や話を聞きたいです。だから相手に質問しまくります。うざいくらいに。

それほど、私は他者に関心が強いです。

 

しかしながら、それが異性対象になると、異性愛に思われがちなんですが、違うんです。まず、人類愛。人間愛。そこから親しくなっていき、ようやく個人になっていき、異性として見るようになり、やがて異性愛に移っていく、というスローテンポです。

熱烈に口説かれれば口説かれるほど、冷静になっていくのが私です。唯一、この感情の動きだけは好きですね。(笑)失敗が少ないから。

恋愛はドライです。好きになりにくいとかそうのではなく、付き合い方、接し方、周囲との関係などをつぶさに観察し、判断していく冷静さを持っているんです。

恋愛とビジネスは似てますからねー。

 

「恋愛で、そういう冷静な判断が出来ないくらい、狂おしい恋愛をしてみたいなー」と思う反面、「でもそんな恋愛しちゃったら、自滅の道だよね」っていうオチ。二面性を持っています。二重人格ね。

 

 

話を戻して。

人は人。自分は自分。

なのでしょうけど、もう少し、苦手だと思われる人と対話を心がけよう、という粘り強さも持って欲しいなと思います。

私と話してくれる若い子たちに必ずそう伝えています。

避けていたら学ぶことがなく、成長が止まったままです。

無理に付き合おうとしなくても、対話だけは続けて欲しいと思います。

あからさまに避けられると、こっちが話しかけたくてもそれが出来ずに困惑します。

もし誰かがあなたによく話しかけてきてくれるけれど、あなたは素っ気ない態度を取ってしまう、のであれば、相手に伝えて欲しいと思います。

「素っ気なく思ってしまうかもしれないけど、嫌いではないよ。拒絶もしないよ。ただ、私がどう接したらいいのか分からなくて困惑して、結果的に素っ気なくしてしまってるだけだから」と安心させてほしいと思うんです。

最近もそういう出来事があって、私ははっきりと相手に伝えました。

はっきりと伝えてあげることで、相手もそれを意識して、行動も変わってきます。

それが本当の意味での優しさ、誠実さだと思っています。私自身もそういう悲しい思いをしてきたからこそ、自分だけは、そういう態度を取りたくありません。一人でも私の行動で傷つく人を増やしたくないから。

八方美人とかそういうんじゃないです。

私自身が、誠実な生き方をしたいだけ。あくまでも自分の欲望だけ。自分にされてきた嫌なことを相手にしたくないです。

 

 

本当の意味で、「嫌いだ」と思えるようになるには、相手のことを何十年も付き合ってとことん知り尽くした結果、「やっぱり私はあなたが嫌いだ」というのであれば、良しとしています。

「苦手だ」という感情は正直に認めています。ですが、「嫌いだ」という感情はありません。認めていません。それは「苦手」だからだろうな、という感じで終わってます。

それは、「相手の何を知っているというのか。自分はそんな嫌いだと言える偉い立場なのか? 神様なのか? 違うだろ」と自分で突っ込んでるからですね。

それに、相手にだって愛する家族がいて、友達がいて、生きているからです。

相手を好きだという人を侮辱しているのと同じですよ。あなたが「あの人が嫌いだ」と断言してしまったら、相手を侮辱するだけでなく、相手の家族たち、友人達、職場の人たちなどを侮辱しているのと同じことだとはっきりと認識してください。

それに、自分の親友のことを「嫌いだ」と言われたら、良い気分がしないでしょう。

「私の親友を侮辱しないでよ!」っていう感情が動くでしょう。

それと同じです。

 

だから、簡単に「あの人、嫌い」なんて言わないでくださいね。

「ちょっと苦手だけど、学べるところがあるかも?」という大きな器を持てるように努力して欲しいと思います。

 

苦手な人を褒めるのはすごいことです。その人の存在を認め、受け入れているから。

苦手なことを全部無くすのは到底無理です。人間だもの。

成長過程、経験過程で苦手に変わっていくことが殆どです。

苦手な人は、その苦手な人に原因があるわけじゃなく、自分の中にある過程に原因があるのです。

まあコンプレックスですね。自分にないもの、自分が忌み嫌っているものが、たまたま相手がもっていたり、当てはまっていたりするだけで、「嫌だな」っていう感情が処理されてしまうんです。

これを心理学用語で「投影」といいます。

それが働いているだけで、相手に非はありません。(直接・間接的に攻撃されているなら、話は別ですが)

ただ単に会っただけで「なんかあの人、いけ好かない」で嫌い嫌いって通していたら、あなたの器は相当小さいですね、ってしか答えようがないです。

 

せっかくの一度きりの人生です。

どうせなら色んなことを知っていきませんか。

 

知るということは、学ぶということ。

学ぶということは、豊かになるということ。

豊かになるということは、悟りへの道に繋がっていきます。

 

私の事が苦手でも、耳だけは傾けて欲しいと思っています。

あなたの人生がより豊かになっていくことを願っております。

 

 

志方弥公

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