タイミングという名の正体 ~タイミングすらも己の意思決定である~

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鈴虫寺
鈴虫寺

 

すべてにおいて、何事においても、「タイミング」というものがあります。

言い換えれば「転機」

しかしながら、私たちはアダムとイヴの禁断の果実をかじった人間です。

これまでの経験、知識、欲望によって選択をしているといっても過言ではありません。そのせいで、判断を間違えたり、執着したりするのです。

 

時には「タイミング」という転機となるものに、翻弄され、あれよあれよという間にその道を歩むことになった、という話もよくあります。

それは、きっと私たちが無意識に決めていた道なのでしょう。本人ですら気付かない、奥深い無意識世界で、私たちは決定しているに過ぎません。

それを、私たちは「神様」「宇宙」「天使」……などと呼んでいるのです。

本当に神様の意思や宇宙の意思があるというのはさておき、私たちは知らぬ間に決定をしているのです。

これを言及したのは、ニーチェの「力への意思」です。

Wikiから引用します。

ニーチェは、「賢者」たちが全ての物事を思考可能なものにしようとする「真理への意志」の正体が、一切を精神に服従させようとする「力への意志」であると批判している。すなわち、力への意志はルサンチマンと当初密接な関係があり、否定的なものとして記されていた。しかしやがてニーチェは力への意志を肯定的な概念としてとらえ直す。あえて積極的にニヒリズムを肯定し、ニヒリズムを克服することが力への意志となり得るのである。
力への意志は権力への意志と訳されることもあるが、力への意志の「力」は、人間が他者を支配するためのいわゆる権力のみを指すのではない。
また「意志」は、個人の中に主体的に起きる感情のみを指すのではない。力への意志は自然現象を含めたあらゆる物事のなかでせめぎあっている。
力への意志の拮抗が、あらゆる物事の形、配置、運動を決めている。つまり、真理は不変のロゴスとして存在するものではなく、力への意志によりその都度産み出されていくものなのである。この思想はジル・ドゥルーズの差異の哲学に受け継がれた。
また永井均はこの概念を指して、「力への意志」というよりは「力=意志説」と呼んだほうが良いと書いている。
ニーチェは、キリスト教主義、ルサンチマン的価値評価、形而上学的価値といったロゴス的なものは、「現にここにある生」から人間を遠ざけるものであるとする。そして人間は、力への意志によって流転する価値を承認し続けなければならない悲劇的存在であるとする。
だが、そういった認識に達することは、既存の価値から離れ、自由なる精神を獲得することを意味する。それは超人へ至る条件でもある。 Wikiより

 

小難しい話ですが、要は主体的に意思決定しているだけではない、ということです。私たちが「よし! やろう!」という意思決定だけで生きているわけではありません。

何となく習慣的に行動しているのも、「力への意思」です。

自然現象を含めたあらゆる物事の中で行われているのです。勿論、生理的欲求もです。

そうなってくると、なんとなく決めたことですら「タイミング」として行動を起こしたとも言えるのですね。

物事の起こりも、タイミングです。自分が興味あることにフォーカスした結果、タイミング良くその出来事に遭遇したというのは「神がかった」と思いそうですが、実は無意識では予知していたことです。

無数にある情報から素早くピックアップして、そのようにフォーカスしただけに過ぎません。

これが「タイミング」の正体です。

いくら望んでいてもタイミングが悪いのは、きっと無意識では「そんなのいらん」と判断を下しているからでしょう。

実際にそういうシチュエーションに遭遇すると、けっこう躊躇し始めるのではないかと思います。だから無意識に「起こらないで」と意思決定しているに過ぎません。

本当に、本当にそうなんですよ!(笑)だから、私がいくら「結婚した~い!」と叫んだところで、本音では「まだしたくないわぁ」だったら、いつまでも結婚どころか結婚相手が現れないわけですよ。

そういう話はよく聞くと思います、皆様にも。

本当にそうなんです。

「意思決定」はすでに無意識に10年先ですら決定している節があります。いや、むしろ一生分をすでに決定しているような気もします。

何となく、生まれた時点で、自分は決めているんじゃないかしら。

 

「自分の人生はこのように生きる」

って。

 

そうだとしたら、妙に納得しちゃうのですよ。

高校卒業後、勢いで留学したのも、すでに私が決めたこと。

そしてその留学の結果が大失敗に終わったのも、私が決めたこと。失敗してさっさと終わらせたかったのです。

もしあの時成功してそのまま大学に居続け、勉強していたらどうなっていたでしょうか。少なくとも画家にはなっていません。

外国の人と恋愛をして国際結婚していたかもしれません。

でも私は望んでいなかったのです。そのようなシナリオは私の人生になかったからです。いや、これからかもしれませんが、今はそのような気配はありません。

しかしながら、留学したことで、日本以外の文化や世界を見て、視野が広がったように思います。

それは私の作品にも活きています。

色んな人がいる。色んな文化がある。色んな世界観がある。色んな風景がある。色んな建物がある。

本当に私が18歳の時に望んだ結果でした。若いうちに海外に飛び出て視野を広めたかったから、シナリオにそう書き込んで「意思決定」したのです。

これが、「タイミング」の正体なのだろうと思います。

本当に望んでいたら、向こうからやってきます。

失敗も成功も全ての結果は、「意思決定」によるものです。

心のどこかで「失敗してもいい」と思っているから失敗するのです。成功させて「次の段階へ進む決定をする」という意思があれば、成功して次の段階に進むのです。

 

恋愛も然り。

初めて出会った瞬間、「あ、この人と付き合うな」っていう直感は殆ど当たりますし、相手もそう感じています。

「好きだな、タイプだな」という感じ方だと、大抵上手くいきませんね。

「あ、付き合うわ」という直感が働けば、そのように進みます。そういう意思決定がなされているのです。

そこに、相手の思考などの波長がうまく重なっているのでしょうね。不思議なものです。

 

私も過去の彼氏とも、「あ、この人と何かありそう」っていう直感がほぼ働きました。そしてその通りになりました。

交際した結果はともかく、付き合うという流れにいくだろうという直感はありました。

逆に「この人タイプ!」という感じ方だと、失恋が殆どでした。

要するに、すでに意識に昇っている状態では、もう意思決定はなされていて、手遅れなんですよね(笑)

もうすでにその人と出会う前から決定されてしまっているのですから。不思議ですね!

それが「タイミング」という正体でもあり、「ご縁」という名も存在します。

 

ということで、私自身、タイミングを窺っていました。

そう、化粧品の販促拡大です。

今までは友人知人、そしてリアル店舗に置かせて頂く、通販のみでやってきましたが、そろそろ次の段階にいくべきだな、とふっと思ったのです。

そうしたら、すぐにそういう話が舞い込んできました。

イベントへの出展です。

協賛企業として出展する話が浮上し、私はそれに乗ります。

まずは人口の多い関東地区で対面販売を行う予定です。

そして関西、九州と拡大させていきます。

そのためには人材が必要不可欠です。それもタイミング。すぐに確保出来そうです。

もうすでに出揃った今、9月から動き始めます。

これも私が決めたタイミングなのでしょう。

 

 

志方弥公

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