人に理解してもらうには自分から発することが大事 ~私と手話~

Facebooktwittergoogle_plusredditpinterestlinkedinmail

%e3%82%b3%e3%83%83%e3%83%88%e3%83%b3%e3%81%a8%e5%a4%a2%e3%81%ae%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%9c%a8

 

私は、耳が聞こえません。聴覚障害を持って生まれてきました。

小さい頃、言語を取得するには親の教育が欠かせませんでした。母はいつも私に向かって、一生懸命、辛抱強く教えてくれました。

違う発音をしたら、イライラしていた母がついつい手を上げ、私の頬や頭を叩いたりしていました。そうやって身体で覚え、ようやく人様に伝えられるほどの発音を発する事が出来るようになりました。

耳の聞こえる子どもからしたら自然と出来たことを、私たち聴覚障害者は厳しく発音練習を繰り返し何年もやらされ、苦しみに喘ぎながら習得しました。

 

昔の聾学校は、手話は禁止でした。

「健常者の社会に馴染むためには発音が必要である。手話なんてもってのほか。健聴者に可愛がられるように、ちゃんと発音が出来るようにしなさい」

という考えが主流でした。

今の時代では考えられないことですが、たった20年前はこういう状況でした。

親は良かれと思って聞こえぬ我が子のために、心を鬼にして、辛抱強く、教え続けてきたのだと思います。気持ちは分かります。

そのおかげで、私はスムーズにコミュニケーションが取れるのですから。

 

コミュニケーションを取る時に、私たちは基本的に読唇術を使います。読唇術というのは、相手の唇の動きを見て、何を言っているのか判断する技術です。

全集中して、緊張状態を保ちながら読唇術を使い、聞く努力をしています。

リラックスはあまり出来ません。特に初めての人やまだ慣れていない相手、いつまでもたっても読み取りづらい相手などです。

昔からの友人や家族、私に理解のある人とはリラックスして会話を楽しめるのですが。

たまに、初対面でもすごく読み取りやすい方もいまして、その方とは大変相性が良く、ずっと仲良く出来ます。きっと前世で仲良くしてもらった方なんだと思います。

 

それでも、やっぱり疲れます。

身内ですら疲れます。読唇術というのは、超集中力が必要です。いわば、私の高い集中力は読唇術から来ています。

私の強みは集中力が非常に高いことです。瞬発的な集中力もずば抜けて高いのです。だからゴルフでコースに出た時、割と良いショットを打てるのも、瞬発的な集中力があるからでしょう。

その集中力を何時間も続けることは至難の業です。

家に帰ったら泥のように眠ります。それほど、疲れるんです。

 

その中で、手話の出来る健常者がいると、ホッとします。初対面であっても、心を許せたり、非常にリラックス出来たりするのですね。

昔、手話の出来る詐欺師がいまして、、、その弱みにつけ込まれて騙された聴覚障害者が多くいました。手話が出来るというだけで、仲間だと思ってしまうんです。

自分を理解してくれる、と過剰な期待を寄せてしまうのです。仕方がないことです。

それほど、私たちは常に緊張状態にあるのです。

だから、聴覚障害者同士が結婚するのは道理であり、また、聴覚障害者と手話通訳士が結婚するのも道理です。

私もそういう方とお付き合いして、今までの中で一番リラックス出来た相手でした。

 

やっぱり、私の夫となる方は、手話が出来た方が良い、と思っています。

その為には、私自身が自ら手話をずっと使い続けた方が良いのだろうと思います。

20代前半の時にお付き合いしていた健聴者の元彼に、「僕に手話を覚えさせたいんだったら、君が手話をずっと使い続ければ良い。そうしたら僕は自然と覚える」と言っていました。

今思えば当たり前のことだったのに、当時の私は手話を使うことに抵抗があったのです。いくつかの手話は覚えていたのですが、普段から聴覚障害者と接する機会がほとんどなく、また、手話を使う健聴者と接する機会もほとんどなかったからです。

今は随分多くの方と接しています。

やっぱりリラックス出来るな、と思います。

今いる人間関係の中で、大事な人だと思える相手に、手話が分からなくても手話を使い続けてみようか、と思いました。

 

そういえば、手話の分からない学生時代の友人とも、談笑の中で私が時々手話を使っていた時に、彼女も自然とそれを真似て手話を使っていたのを思い出しました。

赤ちゃんと同じなんですね。

使い続ければ自然と覚える。

 

当時の彼氏はそれを分かっていたのでしょうね。別れたのが惜しくなりました(笑)

 

ともかく、私はこれから手話を使い続けようと思います。私は私のリラックス出来るコミュニケーション手段を伝えたいから。

相手が負担なく自然と覚えてくれたらしめたもの。

そこから一気に輪が拡がっていき、手話に関心を持ってくれる人が増えていきます。

そういう努力を、私たち聴覚障害者も必要だと痛感しています。仲間内だけじゃなくて、外にも向けようよ、と。

健聴者に合わせて頑張って喋る努力も必要かもしれない。けれど、全部が全部頑張らなくてもいいんじゃないかなと思います。

お互いが歩み寄れる関係っていうのはとても素敵な関係です。

自分の好きな人が手話が使えたら最高だもの。

自分の人生のパートナーが手話を使えないままでいるっていうのも、なんだか寂しい。

 

私のこれから出来る彼氏は、手話が使える人であってほしい――そう思います。

 

志方弥公

Facebooktwittergoogle_plusredditpinterestlinkedinmail