「通過点」への思い inパークホテル東京

パークホテル東京さまのところで展示されていた「通過点」が売れまして、現在展示しておりません。

なので、代わりに質疑応答とそれに対するパークホテル東京さまからのコメントを掲載しておきます。
宜しくお願い致します。

志方弥公「通過点」

志方さんの作品に出てくるコットンのご紹介をお願いできますでしょうか。

私は耳が聞こえません。幼少時は言語の習得がかなり遅く、自己表現が出来ずにいた時に、頭の中で自分の感情を上手く処理しようと努めていた頃に出てきたイマジナリーフレンドです。白クマと間違われますが、ムーミンのような架空の生き物です。

コットンは白黒があり、いつも出てくるのは白です。子供の頃に祖父から貰った白クマのぬいぐるみの生地が珍しくタオル生地で、ざらざらしていて気持ちが良かったのです。

その記憶が強く結びついていて、コットンの肌触りはタオル生地と決まっています。

コットンは私の頭の中にいますが、そうなればいいな、という設定があります。

白黒コットンはあの世とこの世の境目に住んでいます。

もし私が肉体を離れたら、黒コットンに三途の川を渡るために舟を出してもらい、7つの関門を白コットンに案内してもらいたいと思います。

その希望があるからこそ、私は頑張ってこの世に生きていけるのだと思います。堂々と胸を張って、この世での宿題を済ませてきたよ、とコットンや一足先に逝った先祖たちに報告するために。

白と黒のコットンは仲間であるか、同じキャラクターであるかお伺いしたいです。

黒コットンは白コットンと対極にある存在であり、影のような存在です。実際に白コットンの影である描写も時々あります。

白コットンが陽気だとすると、黒コットンは大人しく、引っ込み思案です。

私がひどく落ち込んでいる時は、白コットンではなくて黒コットンを必要とします。

黒コットンはいつだって傍にいて、静かに見守ってくれますから。そして黒コットンが恋しい時に、自分がひどく疲れていることに気付けるので、分かりやすくて助かっています。

白コットンは元気な時に一緒に旅立ちたい存在です。私が行けない時は白コットンに旅立ってもらっています。

「通過点」は、どのようなストーリーを表現していますか。

人生、生きているとままならないことが多々あります。

今年に入ってから、世界中の人々がままならない大きな出来事があったのも、私たちが生き方や生活、思考を大きく変えるきっかけとなりました。

そんな時にコットンがひょっこりと出てきて、「それもまた人生の通過点だ」と言い切りそうです。

そんな表現をしてみました。

「通過点」という作品名の解釈をお聞かせ下さい。

肉体を得てこの地球という舞台で生き抜いている私たちは一体どこへ向かおうとしているのでしょうか?

そんな風に考えたことはありませんか?

人生の目標というのは、何か目的があって設定するものですが、人生のゴールとなるとニュアンスが変わってくる不思議さがあります。

今年に入ってから、私たちは翻弄されています。

人生の目標もことごとく壊された方も多くいるでしょう。

けれど、俯瞰してみるとこのような出来事も私たちの人生において「通過点」なのです。

今回の「通過点」において、考えを改めたり、方向を転換させたりして、人生の転換を試みたのではないでしょうか。

その結果が良いか悪いかというのではなく、舵をとって転換するエネルギーを使ったことが大事なのだと思います。

「人生の目標」はあくまでも生き方の指標であり、「人生のゴール」は魂そのもののこの世での宿題を終えた瞬間じゃないかな、と思いました。

それならば、「人生の通過点」というのは、「人生のゴール」を目指す「通過点」なのだと思います。

おもてなしコンシェルジュ
ヴァルツカイテ イェヴァ

誰もが常に安心感を追求している。
追い掛けているものは、生き続けるための安心である。
安心は様々な形で現れ、人間の大切な友で生存の大きな鍵ではないかと考えられる。
作家志方弥公の友は、コットンという肌触りがザラザラしているクマだと本人が語っていた。
どんな状況や場面でも友には悪気がなく、必要なときに別の世から降りてくれる。
乱流時等には友のコットンが、「これは人生の通過点」だと落ち着かせ、混乱期を乗り越える重要な応援パートナーである。
作家の「通過点」の選択は素晴らしく、この言葉で作品を巧みに表現したと考える。
友が明るいところから迎えに行き、今後の道を一緒に歩いて行きましょうと呼びかけている印象が強いものである。
優しい感じの絵であるが、目を離せないほどのパワフルな安心感を発信している作品だと思う。

https://parkhoteltokyo.com/ja/art-colours/vol34/